妄想力は無限大 別館

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『よそはよそ、うちはうち』は魔法の言葉?嫌いな人を気にしないシンプルな方法。嫌いな人、身近に居ますか?



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『他所は余所、家は家!』

昭和チックなこの名言を言われた事がある方はきっと同年代。仲間だ。

『クラスの子が自転車を買って貰ったんだ!僕も欲しい!』

『あいつの家ファミコンソフト20本あるんだ!僕も欲しい!』

『他所は余所、家は家!』

父や母から繰り出されてきたこの名言(迷言)。

実は一刀両断の元に問題を切り捨てられる魔法の言葉の「元」だとしたら?

嫌いな人が身近に居る人に読んで欲しい。

もしかしたらほんの少し、貴方の助けになるかもしれないから。

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目次

嫌いな人居ますか?

 

昔の話。

私の職場にとんでもなく高慢で、仕事もせず、上には媚びへつらい、下には理不尽な振る舞いをする人間が居た。

私はその人間を心の限り嫌っていた。

職場では言動の一つ一つにイライラして怒りを募らせた。

仕事をサボる姿を目撃した時は管理者に怒りをぶちまけた事もあった。

帰宅途中の車内ではおおよそ人前で言えぬ事を力の限り叫んでいた。

家に帰ってからも家族に

『あいつが居る「から」仕事が面白くない。あいつが居る「から」職場の雰囲気が悪い!』などと口を開けば愚痴ばかり。

典型的な「嫌いな人」を作り上げていた

 

当時会社が傾き、取引先に救って頂いた際に

『素性を隠して仕事をしろ。社長と仲が良い新入りだと上の人間が使いにくいだろ。』との理由から形的には一番下から入った経緯がある。

年下の上司にアゴで使われる葛藤は尋常じゃなくストレスを生んだ。

『俺が無能だから今、この立場なんだ。我慢しろ。本業を再起動させろ。』

『絶対見返してやる。覚えていろ。絶対にだ。』

こんな自分の能力不足を棚に上げて、仕事が慣れるに連れて頭の隅っこに追いやった。

そこで「嫌いな人」を作り出して

『俺がこんな思いをしているのはそいつの所為だ。』

『あいつが居る「から」俺は仕事が楽しくないんだ。』と。

 

恐らく、というか今では確信めいているが「嫌いな人」を作って自分の置かれた立場を忘れようとして居たんだと思う。

「最悪」を忘れる為に。

 

貴方もそんな思いは無いだろうか?

誰か「嫌いな人」を作り上げた方が自分にとって都合が良い事が。

嫌うのは簡単だけどエネルギーを使う

 

一度嫌い始めたら嫌いになる理由はどんどん見つかります。

始めは『ん?ちょっと言葉が悪いな』程度から。

だんだん

『何だ。あの言い草は。』

『何だ。あいつの態度は。』

『何だ。あいつの仕草は。』

『何だ。あいつの顔は。』

言葉から始まり、一挙手一投足が気になり、最終的には顔まで嫌いになる。

声も聴きたくないし、顔も見たくない。

嫌いになっている「から」全てを許せない。

仕事中は勿論プライベートにまで顔がちらついてきたら末期。

『嫌い、大嫌い、超嫌い!!!』

自分の持ってるエネルギーを「嫌う為」に使うと疲れます。

心も体も。

それでも嫌うのを止められない。分かる。

かつての私がそうだった。

他人を変えようとするエネルギーは莫大

 

私は彼を変えようとしました。

本人にやんわりと

仕事の内容の事から人への接し方まで。

『先にあの仕事済ませた方が後が楽ですよ。』

『怒るだけだと、へこんだままの人も居るんですよ。』

周りを巻き込んで

『あの人は周りが見えない時があるからフォローしよう。』

『彼がイライラしてたら教えて?上司にかけあってみるから。』

管理者に

『職場の皆が困っています。』

『一言だけお願い出来ませんか?』

 

これを毎日。日々エスカレートしていく。

本人に『何で人を恐怖で押さえつけようとするのか?』

同僚に『何であいつは仕事をしないんだ!』

管理者に『どうして貴方が何も言わない!?』

自分のエネルギーを彼の為だけに使っていた。

夢にまで彼の顔が出てきた時は『ははっ。俺も末期だな。』と嘆いたものです。

人は変わらない。自分で変わろうとする意識が無い限り。

 

どれだけ言っても。周りから言われようと。上司から言われようと。

彼は変わりませんでした。

それもそのはず。

彼自身は自分の事を『俺は何一つ悪くない。』と公言していたのですから。

上司にこっぴどく叱りを受けた直後、

『話が難しすぎて全然頭に入って来なかった。』と私に言ってきた時には私は怒りを通り越して全身の力が抜けたのをハッキリと覚えています。

 

『あぁ。この人は変わらないんだ。変えようとする努力は無駄でしかない。』と。

丁度その時だったか前後だったかある一冊の本に「出会い」ます。

人を変えられないなら自分を変えれば良い

 

彼を変える事は不可能だと気付きました。

何人もの大人が知恵を出し合って一人の男を変えようとしましたが彼には何も響かなかった。

管理者も最終的には『心血注いで育てるから長い目で見てやってくれ。この話はお終い。』の言葉を聞いた時に私は全てを諦めました。

それでも恩義ある会社には「まだ」居続けなければいけない。

彼もまた居続けるのが分かった。

じゃあ人を変えられないなら自分を変えれば良い。

「出会った」本はアドラー心理学の本。

「嫌われる勇気」

悩みの全ては対人関係にある。

本当にタイムリーで対人関係に悩みに悩んでた私に妻が差し出してくれたのです。

心理学とか小難しい事は読み込んだ後でも分かりません。

承認欲求の否定なんて一生出来そうにもありません。

湾曲させて自分の中に落とし込んだだけかもしれません。

 

だけど。ただ一点。たった一点の考え方で私は救われた。

救われた一文

 

他者の課題を切り捨てよ

「嫌われる勇気」143ページより引用

 

他人は変えられない。

自分を変えることができるのは自分だけ。

彼が人に嫌われるような行動の全ては彼の中では「正義」なんだと。

その「正義」を変えるには彼の人生を「一から」変えなければいけない。

どうしてそこまでして彼にエネルギーを使う必要がある?

彼は彼の人生を信じて歩いているだけだ。

ならば私は私の人生を信じて歩いて行く事にエネルギーを使った方が良いのではないか?

答えは簡単でした。

「彼は彼。私は私。」

そう思う事で彼の行動は彼の中では正しいのだと。

それが会社や人に不利益をもたらすのなら「指摘」だけすれば良い。

「彼は彼。私は私。」を心に何度も言い聞かせ、組織の1人として「だけ」接した時。

私の心のざわつきが「減った」のは紛れも無い事実。

『よそはよそ、うちはうち』の名言は魔法の言葉?

 

随分と長い前置きになってしまった。

そう。『よそはよそ、うちはうち』の言葉を思い返してみると実は色々な意味が集約されているのではないかと思う。

 

余所を気にしても仕方が無い。

無いものは無い。

気にするだけ損だ。

そんな事より家を見ろ。

家にあるもので戦え。

 

まさしくアドラーの教えである。

悪いあの人

今回の話の「彼」だったり自転車を自慢してくるクラスの子だったり。

かわいそうな自分

悲劇の役を演じる自分。

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そんな事に心を奪われるより

これからどうするか

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『悪いあの人。かわいそうな自分。これからどうするか。』三角柱で表すと分かりやすい。「幸せになる勇気」を少し持てた気がする。: 妄想力は無限大

本館より画像を引用

 

2面の問題に囚われている限り、裏面のこれからどうするかは何時まで経っても見えてこない。

これが『よそはよそ、うちはうち』に集約されているのではないか?

『彼は彼。私は私。』も含まれているのではないか?

 

父や母は気にもせず使っていたかもしれない。

だがこの言葉を考え出し、広めた人が全てを集約して作り出した言葉だとしたら私は恐怖すら覚える。感謝と共に。畏怖。

真意は分からないし解明しようとも思いませんけど。

まとめ

 

嫌いな人を気にしないシンプルな方法として

『彼は彼。私は私。』で明確に線を引いて「彼」と接するようにしたら気にするのもバカバカしくなりました。

気にするだけ損だと。そんな事より「前に」進もうと。

『これからやることは一杯あるだろう!』と。

人は簡単には変わりません。自分が変わる方がよっぽどシンプルかつ早いのです。

最後に

 

今回の場合は自分で作り出した嫌いな人への対処法です。

実害がある場合はまた違う話になろうかと思いますので別の機会があれば。

考え方を変えてみるだけで少しだけ好転した例として。

貴方のほんの少しでも助けになれば。

 

余談ですが「彼」は私の前から居なくなりました。

お天道様は見てます。

管理者が見かねて最後通告をしたのを見届けました。

本業の方も少し持ち直し、今は「助っ人」として縁は続いています。

 

それでは

ん~!良い人生を!