犬が嫌いです。
『ウチの子は絶対噛まないし、吠えないから可愛がってあげて!』と触れさせようとする人間はもっと嫌いです。
犬が嫌いと公言してるのに『ウチの子の写真見て~カワイイでしょ?ねっ?』と携帯を見せてくる人間への反応は無視のみです。
「犬好き」は「全人類が犬好き」と思っているんじゃないかと私は疑っている。
忘れもしない。
幼少の頃にあったお祭りの日。
町内の一軒一軒を『繁盛せぇ~繁盛せぇ~』と言いながら回るお祭りの日。
大きなお家の大きな犬に乗っかられて倒された後、太ももを全力で噛まれて救急車で運ばれてぶっとい注射を打たれました。
左ももにある大きな犬の大きな犬歯の傷跡は今でも消えていません。
翌日、赤いおしっこが出たのは今でも忘れません。
挙句、抜糸の際に糸を切って無いのに無理やり何回も引っ張られて大泣きしたら医者に『男のくせに泣くな!』と言われた事は今でも根に持ってます。
それ以来。犬が嫌いです。
噛む可能性のある動物の全てが苦手です。
例えそれが小動物だとしても。
一度嫌いになったら嫌いになる理由を見つけるのなんて簡単な事なんです。
好きになる理由を見つけるよりはるかに「楽」で遠ざける「だけ」で良いのですから。
犬を飼いたくない7つの理由
我が家の家族は私を除き動物が大好きです。
子供が生まれて、一軒家を買って、子供に少しづつ手がかからなくなってきて。
動物を愛する妻から『犬が飼いたい!』と訴え続けられました。
子供達からも『飼いたい!』と。
写真や動画ならまだ良いんです。
子犬や小動物を「見る」だけならカワイイと思えるようにはなりました。
確実に安全な場所から「見る」だけなら。
でも目の前に存在するとなると腰が引ける。文字通り腰が引ける。
何故か?考えてみました。
犬を飼いたくない7つの理由
1:噛む
例え甘噛みでも私には恐怖でしかない。
2:吠える
犬は分かっているのでしょう。
犬好きには吠えなくても警戒心を持って近づく相手には吠えるのです。
3:匂い
匂いに敏感だから。
4:じゃれついてくる
犬は遊びのつもりでも私には倒されて噛まれるんじゃないかと記憶が蘇ります。
子犬にすら倒される自信がある。
5:毛が抜ける
もし、万が一、億が一飼う事になったとしても小型犬のみ。
即ち、室内。
毛、どうすんの?
6:世話しないといけない
エサ、散歩は毎日。
おしっこやうんこの片付け。
お風呂はどうするの?病気になったら?
途中で放棄は出来ない。
7:お金がかかる
エサ代、遊び道具、予防接種、病気になったら病院代、病気に備えて保険代。
知らないだけでもっとかかる事は想像に難くない。
そもそも「命」を家族に迎え入れる訳です。
中途半端な覚悟で飼ってはいけないと思うのです。
私には迎え入れた「命」を心から愛する覚悟も自信も今は無い。
これが犬嫌いが犬を遠ざける為に作り出した
「犬を飼いたくない7つの理由」
本当はどれもこれも克服出来そうなのに、しないのは私が犬嫌いを設定した方が都合が良いからなんだとも思う。
犬が嫌いな人にどれだけカワイイ犬を見せても犬好きにはならない
久々に妻が「出会った!」という犬が居ました。
私が犬嫌いな事を知ってる妻はいつもなら報告だけです。
でも『小型犬で吠えないし噛みそうにない大人しい子だから抱っこだけしに行こう!』
妻がそこまで言うのは「珍しい」事なのです。
向かった先に居た子がこちら。
※私の指では無いです
うん。触れる事なく確実に安全な場所から見るだけならカワイイ。
抱っこさせて貰った家族の皆が幸せそうに撫でてる姿を見てるだけで満足。
私にも「抱っこを」との事でしたが少し触るのが精いっぱい。
確かにこの子は全然吠えないし、噛まない事も目の前で見ています。
でも私の心に渦巻くのは表現のし難い不安と思い出される過去。
一言で言うなら「闇」
鼓動は早くなり、冷静さを装って家族に冷たく当たってしまう小さな自分。
どれだけ小さくても、どれだけ可愛くても「犬嫌い」が「犬好き」に変化する事はそうそう無いのだという実例。
『こんな小さな犬を抱っこすら出来ないの!?』の問いには
『はい。』としか答えられない。
最後に
そんな私が『犬を飼って良い』と言いました。
犬は嫌いです。
でも妻が子供が犬を抱っこして優しい目になった時に心が揺らぎました。
家族が幸せを感じれるなら良いかなと。
私が作り出した理由なんて些細な事なんじゃないかなと。
私が無理に近づかなければ良いだけの話で絶対に拒絶する程、嫌な事じゃないのかなと。
家庭に笑顔の種が増えるのは素晴らしい事なんじゃないのかなと。
『命を迎え入れる事はとても大事な事なんだよ』と伝えれるんじゃないかなと。
前向きに。
前向きに考えれた家族の「慈しむ目」を見れた犬嫌いのある一日。
それでは
ん~!良い人生を!